うつ・依存・無職だった私が年収1000万円を超えた理由

私は、

・仕事も続かない
・約束も守れない
・誰かに依存しないと生きられない

そんな状態でした。

それでも、
年収1200万円まで上がりました。

この話は「才能」の話ではありません。


高所得者の定義って?

一般的に「高所得者」とは、年収850万円以上とされることが多い。
本記事では、このラインを一つの目安として考えます。

ただし、ここで本当に考えたいのは数字ではなく、

👉「どうやってそこに至るのか」
👉「どんな人がそこに辿り着けるのか」

というプロセスです。


社会復帰するまでの苦悩

よく「天才は狂気と紙一重」と言われます。
実際、心の病を抱えながらも活躍する人はいます。

でも、それが許されるのは“突出した才能”がある場合だけ。

私のような凡人は違います。

双極性障害と診断された私。
マイナスを帳消しにするほどのプラスがないからこそ、

「普通に見せる努力」
「問題を起こさない努力」

これが何よりも大変でした。

症状が重い時期は、

不眠・うつ・摂食障害・焦燥・多動・多弁…

行動も思考も感情も、すべてがコントロール不能。
当然、仕事なんて成立しません。

回復してきても、

・約束を守れない
・体調が読めない
・予定を立てられない

つまり、

👉「社会的な信頼を積み上げられない状態」

が長く続きました。

20代の私は、
人生を自力で切り開くなんて無理だと思っていました。


依存という逃げ道

そんな中で私が選んだのは「自立」ではなく「依存」でした。

・結婚すればなんとかなる
・誰かに支えてもらえば生きていける

そう思っていた。

でも実際は逆で、

👉依存すればするほど「捨てられる不安」が強くなる

自信がないから依存する。
依存するからさらに不安になる。

そんなループの中にいました。


救いになったもの

唯一、私を繋ぎ止めてくれたのが音楽でした。

曲を作る
歌う
ピアノを弾く

心のぐちゃぐちゃを、そのまま音に変える。

当時はただ苦しかっただけの感情も、
今振り返ると「創造力」そのものでした。

・表現できる場所があった
・評価してくれる人がいた

それが、

👉「私は完全に無価値じゃない」

と思わせてくれた。

プロにはなれなかったけど、
確実に“自分を回復させた力”だったと思います。


人生を変えた一言

転機は、28歳のとき。

鎌倉で、会社経営をしている従姉妹に言われた言葉でした。

「このままだと、あんたの人生“とりあえず”になるよ」

私は無意識に「とりあえず」を連発していた。

・とりあえず付き合う
・とりあえず一緒にいる
・とりあえずこのまま

つまり、

👉「自分で決めていない人生」

だったんです。

そしてもう一つ言われた言葉。

「一回ちゃんと一人で生きな」

この言葉で、全部が繋がりました。


依存からの離脱

私は当時、
支えてくれていた優しい彼に強く依存していました。

・服装
・話し方
・考え方

全部「相手に好かれるため」に最適化されていた。

でもそれは、

👉“自分の人生”ではなく“相手に選ばれるための人生”

だった。

このままじゃダメだと思い、
同棲を解消し、一人になる決断をしました。


高所得者になれる人の共通点

ここからが本題です。

私が実体験として感じているのは、

👉高所得者は「好き」で選んでいない

ということ。

むしろ、

・好きじゃなくても、自分が得意なことに気づける
・成果が出る
・評価される

こういうものを選び続けた人です。

そして必要なのは、

・継続
・忍耐
・地道な努力

という、かなり地味なもの。

でも、それだけでは足りません。


決定的に必要なもの

それは、

👉「見極める力」と「運」

です。

・この会社でいいのか
・この仕事に伸びしろがあるのか
・ここで踏ん張るべきか

この判断を間違えると、努力は報われません。

さらに、

・良い会社に出会う運
・評価してくれる上司に出会う運
・チャンスをもらえる運

これも確実に存在します。


高所得者になれたきっかけ

私が高所得者と呼ばれるラインに届いたのは、
特別な才能があったからではありません。

きっかけはシンプルです。

👉「もう一度、普通に企業で働こう」と決めたこと

依存から抜けて、一人で生きると決めた時、
初めて“社会とちゃんと向き合おう”と思えました。


ハローワークで見つけた会社

その会社は、ハローワークで見つけました。

ただ、最初は応募していません。

なぜなら、会社名が変わっていたから。
怪しいと思ったんです。

しかも、その求人はずっと出続けている。

「離職率が高いのか?」
「それとも誰も受からないのか?」

違和感はありました。

でも、逆に気になった。

そこで、会社の情報を徹底的に調べました。


決め手は“社長の言葉”

すると、社長のインタビュー動画がいくつも出てきました。

その中の言葉に、引き込まれたんです。

うまく説明できないけど、

👉「ここだ」と思った

それは今まで感じたことのない感覚でした。

これまでの会社は、

・大企業で、ただの歯車になる場所
・小さすぎて成長のない場所

そのどちらかだった。

でもこの会社は違った。

👉成長の真っ只中にある中小企業

一人ひとりの力を、本気で必要としている場所。

「ここなら、自分も何かできるかもしれない」

そう思わせてくれたのが、社長の言葉でした。


面接で確信に変わる

実際に面接に行った時、その直感は確信に変わりました。

社屋は綺麗で、掃除が行き届いている。

出てきたのは、笑顔の素敵な女性。
この人が、後に私の上司になる人でした。

👉環境は、空気でわかる

その笑顔が、今でも忘れられません。


入社と、覚悟

試験は複数回ありました。

・一次面接
・グループディスカッション+筆記
・二次面接
・社長・役員面接

そして、入社。

最初の給料は、19万5千円。

新卒も中途も関係なく、同じスタート。
そこからは、

👉「完全に実力主義」

でした。


すべてを仕事に振り切る

私は決めました。

👉「一回、全部をここに賭けよう」

仕事以外のことは一旦すべて横に置き、
とにかく打ち込みました。

・無茶振りも断らない
・期待以上のアウトプットを出す
・上司が求める成果を徹底的に考える

当時の会社は成長期。

当然、仕事量も尋常ではありませんでした。

・残業150時間超え
・帰宅が深夜2時
・土日も出勤
・GWもほぼ仕事

正直、楽ではなかった。

でも、

👉ここで結果を出さなければ、何も変わらない

そう思っていました。


成果は数字で返ってきた

その結果は、はっきりと数字に現れました。

毎月、給料が上がっていったのです。

いつの間にか主任になり、
課長になり、
部長になった。

会社も、

・国からの表彰
・補助金の獲得
・売上の右肩上がりの成長

と止まらなかった。

👉会社の成長と、自分の成長が重なった

そんな感覚がありました。


苦手だったことも乗り越えた

私は英語も得意ではありませんでした。

TOEICは500点程度。

それでも、海外案件を任され、
海外出張にも行きました。

逃げ場はなかった。

だから、

・自腹で英会話教室に通い
・外国籍の社員と交流し
・現場で実践しながら学んだ

その結果、

👉英語が苦手だった私でも、TOEIC800点近くまで上がった

必要に迫られると、人は変わります。


そして、気づけば

気づけば、

👉部長になっていました

年収は最大で1200万円。

かつて、

・仕事もできなかった
・約束も守れなかった
・依存しないと生きられなかった

あの自分がです。


ここから言えること

この経験から言えるのは一つ。

👉これは「才能があったから」ではない

・環境を選んだこと
・そこでやり切ったこと
・チャンスを逃さなかったこと

これだけです。


👉環境を間違えると、努力は全部無駄になる

👉チャンスは「嫌な顔」をしてやってくる

・やりたくない仕事
・きつい環境
・無理だと思う挑戦

ここにしか、成長はありません。


高所得者になる方法は、
どこかに特別な裏技があるわけではありません。

👉「自分が戦える場所を選び、そこでやり切ること」

これに尽きます。


最後に

ここまで読んでくれた方へ。

もし今、

・依存から抜け出せない
・仕事が続かない
・自分に自信が持てない

そう感じているなら、

まず一つだけ決めてほしい。

👉「自分の人生を、自分で選ぶ」と。

能力でも、環境でもなく、
最初に必要なのは“意思”です。

それが決まった瞬間、
人生は必ず動き出します。


もし、

「今の自分の状態を知りたい」
「このままでいいのか不安」

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