双極性障害だった私の話(始まり)

今思えば、私は子供の頃から少し変わった子供だった。

幼稚園の頃、盗みをしたことがある。
正直妄想なのか現実だったのか確かめる術はないが。

友達の幼稚園カバンについているキーホルダーを片端から外して、自分の鞄につけたり、友達のハンカチを持ち帰ったりしていた記憶がある。

当然、すぐにバレる。
でも、その時の私は後先を考えられなかった。

小学校に入ってからも落ち着きはなく、授業中じっと座っていられず、保健室ばかり行っていた。
構内をふらふら歩き回り、授業に出ないことも多かった。

想像力がとても強く、現実と空想の境界が曖昧だった。
イマジナリーフレンドもいた。

頭の中だけの存在だと理解はしていた。
でも、その子と会話をし、手紙を書き、時には現実の友達まで巻き込んでいた。

今思えば、かなり危うい子供だったと思う。

また、私は「死」というものに異常なくらい興味を持っていた。

虫を殺したり、道端で死んでいる猫や犬、キジを拾ってきて墓を作った。
子供の頃はまだ野良犬も多く、家の近くには山があったから、死んだ生き物を見る機会が今よりずっと多かった。

私は、死んだ生き物をじっと観察していた。
カラスに啄まれている死体も見ていた。

小学校中学年頃になると、少し落ち着いていった。
そして中学生になる頃には、ごく普通の思春期の女子になっていたと思う。

けれど、高校時代に母との関係が悪化した。

母が望む高校へ進学できなかったことで、「学年1位を取らなければ認めない」という空気になった。
友達を作ることも否定されていた。

「こんなレベルの低い学校の子と付き合うな」

それが母の言葉だった。

私は勉強ばかりして引きこもるようになり、どんどん太っていった。
この時の経験が、後の“外見への異常な執着”につながっていく。

それでも高校3年生の頃には親友ができた。
その友達とは、今でも付き合いが続いている。

やがて高校を主席で卒業し、大学にも進学した。
ようやく母の学歴主義から抜け出せたと思った。

でも違った。

姉は国立大学。
私はFランクの私立大学。

結局、私は認められなかった。

この頃から、自尊心は少しずつ削れていった。

大学時代、私は音楽にのめり込んだ。
バンド活動を始め、人前に立つようになった。

同時に、摂食症(摂食障害)も始まっていたと思う。

最初はまだ「吐く」まではいかなかった。
でも、太ることへの恐怖は強く、食べては吐き出すという行動が出始めていた。

生まれ持った性格。
大学のストレス。
親との関係。
自分への劣等感。

いろいろなものが積み重なっていた。

それでも、社会人になって働き始めると、一度症状は落ち着いた。

リフォーム営業の仕事は過酷だった。
土日もなく、朝から深夜まで働いていた。

完全出来高制で、23歳の頃には月60万円以上稼ぐこともあった。
20年以上前としては、かなり大きな金額だったと思う。

私は、「やっと親を見返せた」と思った。

すぐに実家を出て、一人暮らしを始めた。
親を旅行に連れて行くこともできた。

しかし、選んだ恋愛が、とてつもなく不安定だった。
相手との関係に振り回され、精神状態も少しずつ崩れていった。

そんな時、父が白血病を再発した。

私が20歳の頃に発病し、一度は寛解していた。
でも、「あと数ヶ月で5年」というところで再発した。

父は、自分が死ぬと思ったのだろう。
結婚して妊娠中だった姉ではなく、私に言った。

「母を頼む」

私は母とうまくいっていなかった。
でも、父の願いを叶えたかった。

実家へ戻り、その1ヶ月後に父は亡くなった。
そこから、母との二人暮らしが始まった。

母は父の死で壊れていた。
私への当たりも酷かった。

暴言もあった。
子供時代に受けた暴力の記憶も蘇った。

私は仏壇の前で泣きながら、「父のためだから」と自分に言い聞かせていた。
眠れなくなり、睡眠薬を飲むようになった。

一年後、母が少し落ち着いた頃、私は家を出た。
本当に地獄みたいな一年だった。

でも、そこから私は、さらに壊れていった。

家を出て安心した反動だったのか、眠らなくなった。
異常に活動的になった。

バンド活動に没頭し、夜中まで練習をし、そのまま寝ずにドライブへ行き、朝から仕事へ向かう。
金曜の夜になると、一人で奥多摩や富士山方面まで車を走らせた。

河口湖近くのコンビニ駐車場で夜を明かすこともあった。

体重は35キロまで落ちていた。
でも、本人は元気だった。

むしろ「調子がいい」と思っていた。

買い物も激しくなった。
痩せているのに痩身エステへ通い、数十万円単位の契約をした。

「環境を変えれば治るかもしれない」

そう思って、品川プリンスホテルに長期滞在したこともある。

1週間。
時には10日。

ホテルのプールで泳ぎ続け、食事はゼリーとヨーグルトだけ。
ホテルに併設されている水族館でイルカを見て、映画館へ行き、また泳ぐ。

現実から浮いた、奇妙な生活だった。

クレジットカードだけでは足りなくなり、ローンカードまで作った。

今思えば、完全に躁状態へ向かっていた。
当時は精神科へ通っていたが、薬もきちんと飲まず、自分の状態を理解していなかった。

それでも唯一正解だったのは、不安定な恋愛を断ち切るために、
同じ町の出身だった同級生と、付き合い出したことだった。

彼は、とても優しく、普通に会社員をしており、
今までで初めてまともな男性だった。

だが、病気が悪化しすぎていた。
そして、事故を起こした。

いつものように、夜通しドライブをしていた。
富士山を見に行き、朝4時頃、都内へ戻ってきた時だった。

突然、ハンドルを切った。
ガードレールと電信柱に突っ込んだ。

それをきっかけに、主治医から入院を勧められた。

私は精神病院で、作業療法士助手として音楽療法に関わっていた。
だからこそ、精神病院がどんな場所か知っていた。

怖かった。
「入ったら二度と出られない」
そんな気がしていた。

付き合う前の友達期間も長かった同級生の彼。
ずっと私を見守ってくれていた彼氏に頼み、一緒に病院へ来てもらった。
彼は医師に、「入院の代わりに一緒に住み、自分が面倒を見る」と話してくれた。

おかげで私は、入院を免れた。

そこからだった。

私はようやく、自分が双極性障害なのだと、自他ともに認識するようになった。
そして、本当の治療が始まった。