入院は免れた。
けれど、それで何かが劇的に解決したわけではなかった。
そこからの日々は、治療に向き合いながら、進んでは戻り、少し良くなってはまた崩れる暮らしだった。
当時、私はもう仕事を続けられる状態ではなくなっていた。
同棲してくれていた彼氏のおかげで、傷病手当を申請して、仕事を休み始めた。
給料はたしか月21万円くらいだったと思う。
傷病手当として手元に入っていたのは、記憶では12万円くらいだった。
正確な金額はもう覚えていない。
でも、働かずに生活するには、とても心もとない金額だったことだけは覚えている。
それでも、彼が家賃や生活費を負担してくれていたから、私は休むことができた。
そして、3か月ほど休んだ後、仕事を辞めた。
本当は、会社に籍を残して休み続けることもできたのかもしれない。
でも、ずっと居座ることが迷惑になると思った。
私が辞めなければ、次の人を雇うこともできない。
そう考えて、退職した。
仕事をしなくてよくなった。
でも、彼が仕事に行っている間、私は一人だった。
その一人の時間に、摂食症は悪化していった。
食べては吐く。
食べ物を買い込む。
食べ捨てをする。
やがて、今度は食べられなくなっていった時期もあった。
彼は、まるで王子様みたいな容姿をしていた。
私は、そんな彼に相応しい自分でいたかった。
太ることが、さらに怖くなった。
「太ったら嫌われる」
「醜くなったら捨てられる」
そんな思い込みに、ずっと支配されていた。
同棲して新しい町に移ってからは、過食嘔吐が強くなっていった。
駅の反対側にあるスーパーで食べ物を買い込んだ。
ファミリーレストランに行って食べて吐いた。
パスタ屋さんに行って、過食して吐いた。
体重は36キロくらいだった。
それでも私は、自分のことを太っていると思っていた。
駅前にあった痩身エステにも通い始めた。
すでに痩せているのに、さらに痩せたいと思っていた。
カードで契約をして、借金を増やしていった。
せっかく仕事を辞めて、彼が家や生活費を支えてくれていたのに、私はその時間とお金を、過食嘔吐やエステに使っていた。
今思い返すと、どうかしている。
でも、その時の私には、それが必死だった。
彼のことが好きすぎた。
だから一生懸命、夕飯を作ったりもした。
彼に喜んでほしかった。
彼に嫌われたくなかった。
でも、その気持ちは次第に嫉妬や不安にも変わっていった。
私には彼しかいなかった。
仕事もない。
社会とのつながりも薄い。
他に楽しみもない。
だから、彼の帰りが少し遅いだけで不安になった。
飲み会だと聞くと、心が乱れた。
突然、一人になりたくなって家を出ることもあった。
夜中までカラオケボックスにいたり、駅の反対側の飲み屋に行ってみたりした。
心配させたかったのかもしれない。
試したかったのかもしれない。
自分でも、よくわからない。
ただ、苦しかった。
せっかく彼と暮らせているのに、私は安心できなかった。
それでも彼は、そんな私に付き合ってくれた。
私が眠らず、異常に活動的になっている時期があった。
夜になると、どうしても車を走らせたくなった。
目的地があるようで、ない。
ただ、遠くへ行きたかった。
そんな時、彼は一緒に車に乗ってくれた。
富士山の方まで行ったこともある。
私は全く眠らずに土日を過ごしていた。
それでも、運転している時は妙に平気だった。
眠くない。
疲れていない。
むしろ頭が冴えている。
そんな私を見て、彼は本当に驚いていた。
あの時、彼は初めて、私が本当に病気なのだと実感したのかもしれない。
それでも彼は、私を責めなかった。
止めるだけではなく、付き合ってくれた。
ある夜、樹海のほとりで車を止めた。
寒い夜だった。
外には出ず、車の窓だけを開けた。
私は窓のところに座り、上半身だけを外に乗り出すようにして、夜空を見上げた。
満天の星だった。
暗くて、静かで、信じられないくらい綺麗だった。
その星空は、切ないほど美しかった。
けれど同時に、私はその静寂と暗闇に吸い込まれそうになっていた。
夜の底に、自分の輪郭がほどけていくような感覚があった。
すると彼が、心配して私を引っ張った。
車の中へ戻した。
今思えば、あれはただ身体を引っ張っただけではなかった。
彼は、私を現実に連れ帰ってくれたのだと思う。
ときどき、突然ホテルに泊まることもあった。
一番強かったのは、やはり「太っている」という呪縛だった。
自分をリセットしたかった。
食べ物から離れたかった。
生活を変えれば、過食嘔吐が治るかもしれないと思っていた。
そのために、品川プリンスホテルに泊まった。
7日間。
時には10日間。
部屋にこもり、食べ物を制限し、運動をした。
ホテルのプールで泳ぎ続けた。
併設されている水族館でイルカを見て、映画館で映画を見て、また部屋に戻る。
現実から切り離されたような、不思議な時間だった。
当時は、1泊13,000円くらいで、メインタワーの上階フロアに泊まれた。
私はそれを「治療」のつもりでやっていたのだと思う。
でも当然、借金は増えていった。
気づけば、120万円くらいになっていたように思う。
毎月入ってくるお金は少ない。
仕事もしていない。
それなのに、過食嘔吐、エステ、ホテル、カイロプラクティック。
足の形が気になって、カイロにも通っていた。
お金の使い方は、完全におかしくなっていた。
それでも私は、病院へ行った。
薬をもらった。
飲んだ。
少しずつ、少しずつ、自分を修正していった。
もちろん、すぐには良くならなかった。
叫ぶように泣いたこともある。
壊れたように泣きじゃくったこともある。
そんな時、彼は抱きしめてくれた。
今思えば、彼にも重すぎる時間だったと思う。
彼だって普通の会社員で、普通に暮らしていた人だった。
それでも彼は、私を支えてくれた。
その頃、私はインコを飼い始めた。
とても可愛くて、よくしゃべるインコだった。
小さな命が家にいるだけで、部屋の空気が少しやわらかくなった。
私はよくテレビドラマも見ていた。
特に印象に残っているのは『ROOKIES』だった。
あのドラマを見ると、当時の重たかった気持ちが、少しだけ明るくなった。
宇多田ヒカルの「Prisoner Of Love」が主題歌だった『ラスト・フレンズ』も見ていた。
それから『魔王』も見ていたと思う。
ドラマを見ている時間だけは、自分の頭の中から少し離れられた。
食べること。
太ること。
彼に嫌われること。
借金。
病気。
そういうものから、ほんの少しだけ離れられた。
今思うと、治療とは、薬だけではなかったのだと思う。
彼が生活を支えてくれたこと。
仕事を辞めて休めたこと。
鳥を飼ったこと。
ドラマを見たこと。
少しずつ外に出たこと。
音楽に戻ろうと思えたこと。
そして、私が暗闇に吸い込まれそうな時、現実へ連れ戻してくれる人がいたこと。
そういう小さなものが、私を少しずつ現実に戻してくれた。
休み始めて1年ほど経った頃、私はもう一度働いてみようと思った。
いきなり正社員に戻ることはできなかった。
電車に乗ることすら怖くなっていた。
それでも、友達の会社でテレアポのアルバイトをさせてもらうことになった。
週に3回。
飯田橋まで通った。
最初は、それだけでも大きなリハビリだった。
家に一人でいると、余計なことを考えてしまう。
過食嘔吐したくなる。
不安になる。
彼のことばかり考えてしまう。
だから、外に出る必要があった。
電車に乗る。
人のいる場所へ行く。
仕事をする。
決まった時間に帰る。
そんな当たり前のことを、私は少しずつ取り戻していった。
その頃、mixiが流行っていた。
私はそこで、もう一度音楽に戻ろうと思い始めた。
知り合った人のライブに、助っ人として出ることになった。
それがきっかけで、また音楽活動を始めた。
今度は、誰かと組むのではなく、一人でやろうと思った。
ソロで活動を始めた。
渋谷のライブハウスを拠点にした。
少しずつ、外に出られるようになった。
音楽ができるようになった。
イベントの司会もした。
ソロライブもした。
ライブハウスで出会った仲間と一緒にライブもできるようになった。
まだ薬は飲んでいた。
まだ不安定になることもあった。
でも、確実に少しずつ安定してきていた。
振り返ると、私が少しずつ回復していけた理由はいくつかある。
仕事を辞めて、休む時間を持てたこと。
彼が生活を支えてくれたこと。
彼が私を大切にしてくれたこと。
生活への不安が少なかったこと。
リハビリとしてアルバイトを始められたこと。
音楽を再開できたこと。
インコに癒されたこと。
ドラマを見ながら、ただ時間を過ごせたこと。
音楽活動を始めたことで、少し自尊心を取り戻せた。
ファンになってくれる人や、体型を褒めてくれる人がいたからだ。
もちろん、きれいな回復ではなかった。
私は何度も乱れた。
何度も暴走した。
嫉妬深くなった。
泣き叫んだ。
家を飛び出した。
過食嘔吐もした。
借金も作った。
それでも、私は少しずつ戻っていった。
治療とは、ある日突然、光が差して終わるものではなかった。
壊れた生活の中に、ほんの少しだけまともな時間を増やしていくことだった。
眠る。
薬を飲む。
ご飯を作る。
鳥に話しかける。
ドラマを見る。
電車に乗る。
アルバイトへ行く。
歌う。
そうやって、私は少しずつ、社会の端っこに戻っていった。
そして元気になってくると、今度は別の問いが生まれた。
このままでいいのだろうか。
彼に支えられて生きるだけでいいのだろうか。
私は、彼を束縛していないだろうか。
逆に、自分自身を苦しめていないだろうか。
彼は私と一緒に暮らしてくれていた。
結婚も前提にしてくれていた。
実家にも連れていってくれた。
それなのに私は、幸せな気持ちにはなれなかった。
病気の自分が、彼の人生の重荷になっているような気がしていた。
愛されていることよりも、申し訳なさのほうが大きくなっていった。
私はいつも、彼に支えられながら、その優しさに押しつぶされそうになっていた。
